『アンディ・ウォーホル・キョウト』展初日の9月17日午後、ウォーホルの世界的なエキスパートと呼ぶべきふたりの人物の参加を得た、貴重なトーク・イベントが京都市京セラ美術館内の講演室で開催された。その名もトーク・プログラム「アンディ・ウォーホル・キョウト:オープニングトーク~ピッツバーグから京都へ」。講師を務めるのは、本展に所蔵作品を提供したピッツバーグにあるアンディ・ウォーホル美術館館長のパトリック・ムーア氏と、同館の主任学芸員で本展のキュレーターであるホセ・カルロス・ディアズ氏だ。

約50人の聴衆の前にふたりが姿を見せると、モデレーターの京都市京セラ美術館の土屋隆英氏が彼らの経歴を紹介し、早速トーク本編へ。その内容はまさにタイトルの通りで、前半は、ムーア氏がウォーホルの故郷ピッツバーグ、ディアズ氏が京都を受け持ち、ふたつの都市とウォーホルの関わりを解説。最初にマイクを握ったムーア氏は、「アンディ・ウォーホル美術館はピッツバーグでしか成立し得ません。ピッツバーグこそ、ひとりの人間としてもひとりのアーティストとしても、ウォーホルを形作ったからです」と前置きし、都市がウォーホルに与えた影響を解き明かしていく。
 
The Andy Warhol Museum, Pittsburgh
Photo by Bryan Conley

労働者階級の貧しい移民の家族のもとに生まれた彼の母校カーネギー工科大学は、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーがまさに地元の労働者の子供たちの教育のために設立した学校だったこと、そこで身に付けた技術を役立ててウォーホルが商業イラストレーターとして活躍したこと、ピッツバーグで育ったがゆえに彼が成功を求め、富と名声を欲したこと――などなど。そして美術館誕生の経緯を振り返ったムーア氏は、ウォーホルがいかに後続に大きな影響を及ぼし、現行のカルチャーの一部であり続けていることを示すべく、ウォーホル美術館で若手アーティストの展覧会も積極的に行ない、様々なウォーホル関連のプロジェクトに協力して彼の功績を伝えている、現在の活動についても語った。中でも世界中で開かれる展覧会については、開催地それぞれの事情を踏まえ、見せ方を変えることを心がけているという。

それゆえに『アンディ・ウォーホル・キョウト』展では、京都及び日本との関係を掘り下げるユニークなアプローチをとったわけだが、続いてディアズ氏が、展示されていないものも多数含む資料を見せながら興味深い逸話の数々を交えて、「ウォーホルと日本そして京都」のセクションを中心に本展の内容を解説。キュレーターとして、自らもウォーホルについて知見を深めながら5年を準備に費やしたという彼は、まず展覧会のハイライトとして3つの作品――1956年の来日中に京都で描いた《京都(舞妓)》、ポップ・アーティストとしての絶頂期に制作した《三つのマリリン》(1962年)、キャリア最大の作品であり、かつ生前最後の展覧会で披露された《最後の晩餐》(1986年)――をセレクト。それぞれ初期、中期、後期に属するこれらの作品が「展覧会全体を強固に支えている」と述べてから、このうち《京都(舞妓)》を生んだ、56年の日本訪問の話に移った。

ディアズ氏によると、50年代のアメリカでは、『八十日間世界一周』ほかハリウッド映画の影響もあって海外旅行への関心が高まり、殊にニューヨークでは美術館で日本文化に関する催しが相次いで企画され、人々が日本文化と接する機会が増えていたのだとか。
こうした理由から旅行先として人気を集めていた日本を訪れることを提案し、ウォーホルに同行したのは、友人のチャールズ・リザンビー。ディアズ氏はウォーホルとリザンビーが残したスケッチや写真、パンフレットやレシートを見せながら、ふたりの出会いから旅行の一部始終に至るまでを詳しく辿っていく。
13日間に及んだそんな日本旅行はウォーホルの心に深い印象を刻み、のちに、生け花の影響を受けた《花》のシリーズ(1974年)に結実。ディアズ氏は、ウォーホルが所有していた生け花に関する書籍から見つけたという、同シリーズの制作時に参考にした図版も示してくれる。
そして最後に、死の前年にあたる86年に制作した、葛飾北斎の浮世絵をインスピレーションとする作品《神奈川沖浪裏(北斎に倣って)》を例に引き、日本が晩年までウォーホルに影響を与え続けたことに言及して、トークを締め括った。
 
このあとの後半は、ふたりの話を受けて土屋氏が、自身の所感を絡めながらさらに質問を投げかける。例えばその《神奈川沖浪裏》にウォーホルが着眼した理由(日本の美術作品の中で最もアイコニックな作品であり、「シルク・スクリーン手法を用いた彼は版画作家である北斎に共感するところが多々あったのではないか」とディアズ氏)、母ジュリアから受けた影響(ムーア氏によると、ウォーホルにアートへの愛情を植え付けたのはまさしくジュリアだった)、《最後の晩餐》に込められた意味(絵画的側面とポップアート的な側面を併せ持つ同作を、ディアズ氏は「ウォーホルの信仰心やセクシュアリティなどパーソナルな面について多くを物語る作品」と評した)……といった具合に。また、「“将来誰でも15分間は有名になれるだろう”という言葉でメディア時代を予言したウォーホルが生きていたら今頃何をしていたのか?」と問いかけた土屋氏に対し、「何よりもゴシップを愛した彼は、作品を作らずにネット上のゴシップ記事を読み漁っていたでしょう」とムーア氏は仮説を立て、客席から笑い声が上がったものだ。
 
さらに質疑応答の時間では、「《タイム・カプセル》はカトリックの聖遺物と関連性がある試みなのか?」といった学術的な問題提起から、「ウォーホルが好きな日本料理は?」というカジュアルな疑問に至るまで、熱心に耳を傾けていた参加者から多彩な質問が寄せられた。前者についてはムーア氏が「様々な解釈が可能だが、貧しく育った彼には物を捨てることに抵抗があり、何もかも貯めておかずにいられなかったのかもしれない」と分析。後者には両氏ともに「寿司」と回答し、ムーア氏は次のように補足した。「ウォーホルは健全な食習慣の持ち主ではなく、寿司は恐らく、彼が好んだ料理の中でも最もヘルシーなものだったと思います」。

このような軽いトピックもシリアスなトピックも、幅広い知識とウォーホルへの深い畏敬の念をもって語り尽くしたふたり。まだ展覧会を観ていない人たちの好奇心をますます掻き立て、すでに観た人たちも、もう一度会場に駆け戻りたくなるような、示唆に富んだ90分を提供してくれた。 

展覧会名: アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO
        (文化庁移転記念 京都市公式展覧会)

会期: 2022年9月17日(土)~ 2023年2月12日(日)
会場: 京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」(京都市左京区岡崎円勝寺町124)
開館時間: 10:00~18:00 (入場は閉館の30分前まで)
休館日: 月曜日(但し祝日の場合は開館)、12月28日~1月2日
主催: 京都市、アンディ・ウォーホル美術館、ソニー・ミュージックエンタテインメント
    MBSテレビ、産経新聞社、京都新聞、WOWOW、FM802/FM COCOLO
特別協賛/技術協力:ソニーグループ株式会社
協賛: DNP大日本印刷、マツシマホールディングス、アクセンチュア、イープラス
協力: 文化庁 地域文化創生本部、三井住友海上
技術協力: 京セラ
後援: 米国大使館、京都府
HOTEL Partner:ギャリア・二条城 京都 by バンヤンツリー・グループ
企画制作: イムラアートギャラリー、ソニー・ミュージックエンタテインメント
公式HP: https://www.andywarholkyoto.jp/      
公式SNS: @andywarholkyoto


【本展の見どころ】
門外不出の《三つのマリリン》、大型作品《最後の晩餐》ほか、
京都でしか見られない日本初公開作品など100点以上を含む約200点が一挙に日本にやってくる!
アンディ・ウォーホルの内面に迫る注目の作品群―京都ゆかりの作品も公開!

ポップ・アートの旗手として、アメリカの大量消費社会の光と影を描いたアンディ・ウォーホル。この大回顧展では、1950年代に商業イラストレーターとして活躍していた初期の作品から、1960年代に事故や死を描いた象徴的な「死と惨事」シリーズ、アンダーグラウンド映画やテレビ番組などの映像作品、セレブリティ(有名人)たちの注文肖像画、そして、その名声を揺るぎないものとしつつ、カトリックの生い立ちにも触れる晩年の作品などを包括的に展示します。この充実した内容の本展は、巡回せず、京都だけの開催となります。

アンディ・ ウォーホルは、1956年の世界旅行中に初めて来日し、京都を訪れました。本展では、京都とウォーホルの関係に目を向け、そのゆかりを示す貴重なスケッチなどを展示し、若き日のアンディ・ウォーホルの心を捉えた京都の姿に思いを馳せます。アメリカ・ピッツバーグのアンディ・ウォーホル美術館の所蔵作品のみで構成される日本初の展覧会であり、絵画・彫刻など約200点および映像15点の展示作品のうち、門外不出の《三つのマリリン》を含む100点以上が日本初公開作品となる本展に是非ご期待ください。