2018.06.16
NoBインタヴュー
――NoBさんの場合、『ペガサス幻想』などを筆頭に、いまだ世界中で強い支持を得ている楽曲を歌うオリジネイターであり、その歌声を求める人たちがいろんな国に大勢います。その声がある限り、歌い続けねばという使命感もあるのではないですか?
NoB 「もう限界だ」となるまでは、その宿命を背負い続けたいですよね。アニソンに関しては、言われたように、今や世界が舞台。毎年いろんな国へ足を運びアニソンを歌えば、「ここは球場やサッカースタジアムか」という場所でライブをやることも海外では多いですし、ラテン系の人たちのとんでもない盛り上がりなどもいろいろ経験していますからね。いろんな国へ行き「こんなにも待っててくれてる人たちがいるんだ」と感じるたび、それが「もっともっと頑張らなきゃ」という自分のモチベーションにも繋がっていく。アニソンや特撮ナンバーを歌うというのは、それを含めてのライフワークにもなっていることですから。
――NoBさんの場合、アニソンや特撮ナンバーでも、歌唱スタイルに差異がないところもいいですね。
NoB とくに最近のアニソンは、かなりロック色が強いように、「これはアニソンだから」と意識して歌い分けすることはないです。それは、戦隊ナンバーも同じこと。初めて戦隊ナンバーを歌ったのは、『轟轟戦隊ボウケンジャー』なんだけど。当時は、「戦隊ナンバーだから爽やかに歌ったほうがいいかな」と勝手に意識し、自分なりに精一杯な爽やかさで歌ったんですけど。今思えば、そんなことしなくて良かったんだなと思って(笑)。と言いながらも、いくら爽やかに歌っても、しょせんは僕が歌うわけですから、そこはね(笑)。
――言ってしまえば、NoBさん世代の方々が、アニソンや特撮ナンバーの世界へハードロックな要素をガツンと取り入れだしたわけですからね。
NoB ロックバンドでアニソンを歌ったのは、恐らくMAKE-UPが一番最初だったはず。あの当時は、「えーっ、アニソンを歌ってもいいんですか!?」と驚きながら楽曲を作れば、歌ったことも覚えていますからね。
IMAJO それって、『ペガサス幻想』のことですよね。
NoB そう。それまでのアニソンシンガーと言えば、水木一郎のアニキや串田アキラさん、子門真人さんのような専属の方々が歌うものだと思っていたところへ、ロックしか演ってこなかった俺らにアニソンを歌うというオファーが来た。あの当時は、「えーっ、本当に僕らでいいんですか??」「アニソンを歌うって、どうやればいいの??」と、正直戸惑った状態。でも、当時のディレクターが「何時も通りの変わらないMAKE-UPでやってくれればいい」と言ってもらえたことで安心感を覚えれば、それで生まれたのが『ペガサス幻想』でした。歌詞は作詞家の竜真知子先生が担当。じつはあの曲、歌詞先行で、生まれて初めて歌詞に対してメロディを付けるという作業をやったことも覚えていれば、僕の作家人生の中、間違いなく一番世の中へ支持された楽曲にもなりましたからね。
IMAJO だって、世界中ですよ。僕らサイキックラバーも海外でNoBさんと共演してるから、その凄さはわかってますけど。ブラジルやペルーなどでは、ライブの前に会場でカラオケ大会をやってるんですよ。そこで「また「聖闘士星矢」の歌??。もう何十人出てくるの?」というくらい『ペガサス幻想』を聞かされますからね(笑)。
NoB いかんのかよ(笑)。だけど、今でもDAIDA LAIDAを中心にバンド活動も継続していれば、アニソンや特撮ナンバーを今もいろいろ歌わせてもらえている。今年も、「劇場版 仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判」の主題歌をProject.Rのメンバーとして歌わせていただけたり。さらに今年は、そこへ自分のソロアルバムも作ってですからね。後々振り返ったときに、「デビュー35周年を迎えた年はすごく華やかだったよね」と言ってるんじゃないですか(笑)。
もちろん、『ペガサス幻想』だって歌います。というか、歌わないとお客さんたちが許してくれない(笑)。